診療時間 火曜日〜金曜日 9:00~12:00 13:00~18:00 土曜日 9:00~16:00011-708-1000【休診日】日曜日・月曜日・祝日

24時間Web予約 休診日・診療時間外でも予約可能 当院スタッフが対応いたします。

幼少期

私は、北海道苫小牧市出身の父と青森県八戸市出身の母の長男として生まれました。

拓馬という名前の由来は、
拓:道をきり拓(ひら)く
馬:午年うまれの道産子
と聞いています。

とても気に入っており、両親と祖父母に感謝しています。

名前に恥じない人間になれるよう、いつも初心を大切にするよう心がけています。

兄弟

私の人生最初の鮮明な記憶は、生まれたばかりの弟に会いに、祖母と一緒に病院へ行った時のように思います。
私と弟は3つ違いです。

弟がかわいい!という気持ちと、弟に母を取られた!という気持ちが入り混じった、複雑な心境がインパクトとして残ったのかも知れません。

2人兄弟で、今まで特に大きなケンカをする事も無く、ずっと気楽に仲良くしています。

私はセッカチなので、穏やかな性格の弟に数多く助けられています。

3つの小学校に通った子供時代

幼少期~小学二年生までは、父の仕事の関係で旭川に住んでいました。
札幌よりも旭川は冬の寒さが厳しく、暖房設備の関係で真冬には
マイナス21度を下回ると登校が1時間遅くなっていた思い出があります。

小学校にあがるころ、ファミコンが登場しキン消しが流行っていました。
ビックリマンシールなんてのもありました。

3年生の時にまた札幌に引越すことになり、菊水で2年間過ごしました。
豊平川の河川敷でサッカーをして、
ファミコンやドラゴンボールに夢中になっていました。

歯並びがガタガタしていたので、矯正治療をはじめたのがこの頃です。

五年生で円山に引越して、夏は野球とサッカー、冬は毎日スキーをしていました。

色々な土地に住んだ幼少期でしたので、それぞれの場所の思い出があります。

もはや30年近く実家が円山なので、
やはり最も落ち着くのは円山かな~と思います。

写真は小学六年生の時の学芸会で桃太郎の劇をした時のものです。

音楽を通して…仲間との出会い

中高時代はドラムという一生の趣味と、音楽を通じていまだに仲良くしている友人達に出会いました。

中学校に上がったらサッカー部に入ろうかな…と思っていたのですが、ドラムってかっこいい!と気づいてしまいました。
友人とバンドを組んで、部活でも打楽器に触れていたくて、吹奏楽部に入りました。

中学時代はボウイ、ユニコーンなど、高校時代はエアロスミス、ガンズアンドローゼス、モトリークルーなどに夢中でした。すべて今でも大好きです。

この時代にバンドを組んでいた友人達とは今でも仲良しです。

高校時代からのギタリストの友人は現在は家も近所なので、バンド活動と家族ぐるみのレジャーも一緒です。
大切な親友とこれからも同じ時間を楽しんでいきたいです。

小学校からずっと仲良しでバンドも一緒だったベーシストの友人は今は道南にいるので、会うのは年に一度ほど。
でも話して音を合わせると一瞬で昔に戻ってピッタリ合うんですよね。

中高時代にバンドを組んでいた友人の1人は夢を叶え世界的に活躍するギタリストになり、当時コピーをしていた憧れのミュージシャンのバンドメンバーになりました。
すごい !

また札幌北高吹奏楽部時代の2つ後輩達が中心となり、退官された当時の顧問の先生を慕って結成された社会人バンドにも現在参加しています。
春夏秋冬さまざまなイベントに参加させてもらい、
沢山の素敵な経験を楽しんでいます。

当時は、思春期で理屈っぽく素直に人生を楽しめないイヤな奴だったように思います(^_^;)
ただ、現在の友人達との素晴らしい時間の原点であり、もう戻れないウブな時代だと思うと眩しく感じてしまいます。

北海道大学農学部へ入学

大学は初めから歯学部を受験したわけではなく、北大の農学部へ入りました。
一人暮らしをはじめてアルバイトも経験しました。
家庭教師、塾講師、バー店員、ライブスタッフ、コンビニ夜勤、商品の営業、
などなど。
もう少し幅広い業種を経験しておけば良かったな、と今になって思います。

バンド活動は相変わらず熱中して続けており、ロックに加えてジャズを聴いたり演奏したり、
クラシックやラテン音楽にも興味を持つようになっていきました。

農学部で学年が進んで進路に悩んだ時、就職や大学院進学では無く、
歯科医師になりたいという思いが強くなりました。

両親は歯科とは無関係ですし、親戚にも歯科関係者はいません。
なぜ歯科医師なのか自分でもとても不思議でした。

紐解いて考えてみるに、、、
3つの理由がありました。

・歯に苦労している両親や祖父母を見ていたこと

歯や顎の役割を教科書のように説明するのは簡単ですが、何か実感が伴いません。
しかし、実際に家族が痛みや不具合で困っているのを目の当たりにしたら、何とかして美味しく食事を楽しんだりキレイな歯で旅行などを楽しんで欲しいと、素直に思います。
歯の悩みを解決する事で、生活の質を高められる歯科医師に興味を持ちました。

・自身が矯正治療を受けたこと

両親のおかげで自分自身の歯ならびが良くなり、私自身がとても喜びを感じています。そしてそれは今後もずっと続きます。歯や歯ならびが良くなる事で気持ちが明るく前向きになる事が実感できました。

・自分自身で何かを創り上げたいという気持ちがあったこと

小・中・高で学級委員や部長や合唱コンクールの指揮者などになる事が多く、苦労しながらも頑張っていました。 それらの経験から自分の力で組織を作りあげ、それを発展させていきたい気持ちが育まれたのかもしれません。

歯科医師を目指す気持ちが本物である自信はありましたが、その反面、人生の方向転換をしても良いものか不安で、苦労をかけてきた両親に申し訳ないと大いに悩みました。
しかし、覚悟を決めて熱い思いを両親に告白し、一から再受験することを許してくれるよう頼みました。

私には語らない色々な気持ちが当然あったかと思いますが、両親は自分が信じた事をするように言ってくれました。

生まれてから今まで全く変わらずに味方でいてくれる家族には感謝してもしきれません。

北海道大学歯学部へ入学

農学部に通って、アルバイトの家庭教師も休まずに、
半年間みっちり勉強して幸い歯学部に合格できました。

私が大志を持って北大歯学部に入学した頃は、
歯科医師過剰や日本歯科医師会の不祥事など、
まさにいまだに終わりの見えない歯科医師にとって
厳しい時代の幕開けの時期でした。

時代については私自身も大いに考えて悩む事はあります。
しかし、

仕事に励み患者さんとスタッフの為になり続けていれば、みんなから必要としてもらえるし、 楽しく充実した仕事ライフが送れると強く信じています^ ^

歯学部時代は、しっかり勉強しました。
中高の同級生に比べて社会人になるのが大きく遅れるため、早く一人前になりたかったし、
何よりも早く両親への恩返しがしたかったからです。

勤務医、大学院時代

卒業試験、国家試験を無事パスして、ついに歯科医師となりました。
私の卒業年は1年間の臨床研修医が義務化された初年度でした。

私は札幌の歯科医療に貢献して生きていきたかったので、北大病院での研修を希望しました。

1年間の研修医生活は指導医の山口先生をはじめ、多くの先生方に厳しくも正しく指導して頂きました。
飯岡院長7医局を離れ10年以上経ちますが、今でも先生方には可愛がって頂いています。

歯科医師人生の原点が山口先生の医局で本当に良かったと思います。

研修医修了後は、将来自分のクリニックを開業するための、大学外で経験を積む事にしました。

志はあれど経験や実力がまだまだ未熟な若手歯科医師でしたが、
体力はありますから一生懸命仕事して一生懸命勉強しました。
歯科の知識や技術のみではなく、おもてなしや人間関係、経済や経営、
インテリアや食事などなど、
色々な事を学んでいたように思います。

臨床の勉強に没頭するなか、大学院で研究をして歯学博士を取得したい
という気持ちが出てきました。
思い立ったらすぐ行動という事で、北大歯学部の社会人大学院に入り、
診療終了後の夜中や休診日に研究室で実験をする日々でもありました。

平成24年3月、無事に学位論文がパスして歯学博士になりました。

写真は愛犬に歯学博士をお祝いしてもらっているところです。
15歳まで元気でいてくれて、多くの幸せを与えてくれました。
平成24年10月、家族みんなに看取られて
今は天国でみんなを見守っていてくれています。

良きご縁に恵まれ…開院

北24条という土地には昔から縁があるようです。

高校は札幌北高でした。
部活終わりの喫茶店やファストフード店での寄り道が楽しかったです。

大学は北大農学部から北大歯学部。
当時は無尽蔵の体力でニーヨンから円山まで徒歩で帰宅なんて事もありました。

医局時代の飲み会はニーヨンが多く、大学院も北大。
北区に勤務していた時期もあったので、仕事終わりにニーヨンでご飯を食べる事がよくありました。

そして縁あって、平成24年9月に北24条で歯科医院を開院する運びになりました。

開業当初から北24条地区のみならず、札幌市全域から多くの患者さんにお越し頂き、
皆様のお役に立てるよう努力の日々です。
あっという間に四年が経ち、医療法人成りして、ますます頑張っています。

私はつくづく人に恵まれています。
家族、友人、スタッフ、仕事関係の方々、患者さん。

みなさんの為に歯科医師の仕事に誇りを持って、今後も精進していきます!

開院から4年

あっという間に四年が経ち、医療法人成りして、ますます頑張っています。
私はつくづく人に恵まれています。
家族、友人、スタッフ、仕事関係の方々、患者さん。

みなさんの為に歯科医師の仕事に誇りを持って、今後も精進していきます!

休診日には勉強の為に出張する事が多く、
なかなかゆっくりは出来ませんが、
天気の良い日はキャンプしたりドライブを楽しんでいます。

そして2代目愛犬との至福の時間。
平成24年に天国に行った子とそっくりで
生まれ変わりのようです。
たっぷり癒されて元気をもらっています。

(医)北馬会 たくまファミリー歯科は、
患者さんそれぞれの健康と質の高い生活の為に、
相談・治療・メンテナンスと様々な
お手伝いをさせていただくクリニックです。

ご自身とご家族のお口の健康にまっすぐ向き合い、通う度にハッピーになっていただけるよう、
スタッフ一丸で頑張ります!

どうぞよろしくお願いいたします(^O^)

2021年4月追記

“より一層みなさまのお役に立ちたい” の一心で相変わらず走り続けています。
忙しく充実した日々が続く中で、自分の心の中で歯科医師としての覚悟が磨かれ、また自身の存在意義に気づいてきたように思います。
私の使命は、患者さんそして仲間たちの健やかな生活を最大限サポートする事です。
たくまファミリー歯科に関わる事で、患者さんの体も心も良くなって頂ける事と仲間たちが仕事が楽しくやりがいを感じてもらえる事が私の活力源なのです。
2020年は世界中にとって未曾有の1年でした。皆が混乱の中でもがき、今もまだ厳しい状況は続いています。当院も例外ではありませんでした。
今まで以上に一生懸命仕事を頑張りましたし、加えて昨年はさらに取り組む事が沢山ありました。しかし力及ばず悔しい結果に終わることや、心通わずに道を違えた人たちもありました。
挫けることなく仕事への情熱はいつも燃えていました。結果、志を同じくする素晴らしい仲間との出会いが多くありました。恩師や旧友、家族との絆はさらに深まり心は強くなりました。
2021年4月現在、多くの方々のおかげで充実した仕事をさせて頂きとても楽しい日々です。言葉では言い表せないですが、本当に皆さんに感謝しています。ありがとうございます。
今後も患者さんの健康づくりにさらに自信を持って貢献できるよう、歯科医師人生の有る限り一生研鑽を積んでいきます。
今の仲間たちは控えめに言っても最高です!そしてこれからも最高を更新していくでしょう。
アットホームな雰囲気で、患者様の健康を追求した最先端の治療を行うたくまファミリー歯科を今後ともよろしくお願いいたします。

国際インプラント協会:認定医授与